真理が解き明かす「離婚」 Part.2

― イエスはそこを立って、ユダヤ地方とヨルダンの向こうに行かれた。すると、群衆がまたみもとに集まって来たので、またいつものように彼らを教えられた。

するとパリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。

イエスは答えて言われた。「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」

彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」

イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。

しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。

それゆえ、人はその父と母を離れ、

ふたりは一体となるのです。

それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。

こういうわけで、人は、神が結び合わされたものを引き離してはなりません。」

家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた。

そこで、イエスは彼らに言われた。「だれでも、妻を離別して別の女を妻とするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。

妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです。」  マルコの福音書10:1-12 -

 

神は離婚についてどのようにお考えだろうか?さらに詳しくPart.1に続いてマッカーサー先生のメッセージから見ていきましょう。

 

1.離婚を憎んでおられる神

イスラエルの民があまりにもかたくなで、神の御心から非常に遠く離れた所に彼らがいたので、モーセは申命記24章のようなことを書いたのだとイエス様は言われます。

 

イエス様が言われている創造の初めのことは、創世記1章27節からわかります。
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された

 

そして神様は彼らを祝福されるのですが、ご存知のようにアダムとエバは罪を犯し、呪いが与えられます。

 

― 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」 創世記3:16 -

 

これは結婚の中に「争い」「競争」が生じるという、神からの呪いです。
支配したい(恋い慕う:controll もしくは dominateという支配、コントロールという原語の意味)と思うが、支配されることになる。
支配するか、支配されるかというどちらにしても関係が好ましいものではないことは明白です。これが神様からの呪いなのです。

 

旧約聖書の最後の書、マラキ書の2章には離婚について何と書かれていると思いますか?

 

― 神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。「わたしは、離婚を憎む」とイスラエルの神、主は仰せられる。「わたしは、暴力でその着物をおおう」と万軍の主は仰せられる。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。裏切ってはならない。 マラキ書2:15-16 -

 

 

イエス様に質問したパリサイ人たちは、モーセが「離婚状」の箇所で何と言っていたのかよく知っていました。しかし、旧約聖書全体を通して神様が結婚、離婚についてどのように語れらているのか、すべて無視して申命記に出てくる「離婚状」の一か所だけをクローズアップして、訴えているのです。彼らがいかに「離婚」を正当化したかったのか、「離婚」をどうしてもやりたかった、その思いが伝わってきます。

 

 

2.神の忌み嫌われる、恥ずべき行い(妻を交換する行為)

では、実際に「離婚状」について書かれている申命記24章を見てみましょう。

 

― 人が妻をめとり夫となり、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなり、離婚状を書いてその女に渡し、彼女を家から去らせ、彼女が家を出、行って、ほかの人の妻となり、次の夫が彼女をきらい、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせた場合、あるいはまた、彼女を妻としてめとったあとの夫が死んだ場合、彼女を出した最初の夫は、その女を再び自分の妻としてめとることはできない。彼女は汚されているからである。これは、主の前に忌みきらうべきことである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に、罪をもたらしてはならない。 申命記24:1-4 -

この箇所の中で、命令はいくつあると思いますか? 分かりますでしょうか?

 

 

 

一つです。

たった一つだけです。ここで命じられている事は。

それは、

 

再び自分の妻としてめとることはできない。

 

だけです。
しばらくの間、他の人に妻を与えて、そしてしばらくして戻してもらう、なんていう行為(swap)について話しているのです。

この辺りのマッカーサー先生のメッセージの聞き取りが難しくて、お伝えしにくいのですが、ここで使われているある言語がまったく同じように少し前の23章13-14節で使われているということで、その箇所から「恥」そして、「社会的マナー」について話がすすみます。

 

 

― 武器とともに小さなくわを持ち、外でかがむときは、それで穴を掘り、用をたしてから、排泄物をおおわなければならない。あなたの神、主が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。あなたの陣営はきよい。主が、あなたの中で、醜いものを見て、あなたから離れ去ることのないようにしなければならない。 申命記23:13-14  ―

 

24章と23章では同じような言語がつかわれている部分があるようで(きちんと説明できなくてすいません。現在の英語理解力の限界です。)、どちらも話のポイントとしては「普通一般的な礼儀」「社会的な責任」のことについて、どちらも話しているのであって、24章も同様に不道徳のことをポイントにして神様が語っておられるのではないのだということです。要するに、マナー、礼儀について24章も話しているのです。

 

恥ずべき行いとは、汚されたその女をもういちど我がものとすることが、主の御前に汚れたことであり、大きな罪だということです。

 

一度他人の妻となった女(汚された)をめとるなら、姦淫を犯すことになる、ということです。
ということは、はじめに別れたあとに再婚した時の夫も、またその時の妻も二人とも姦淫を犯していることになるはずです。

 

この要点から主の御心を求めていくなら、もし離婚された女(離婚した男)が再婚するなら、それは姦淫を犯すことにもなるのです。

 

福音書の中で姦淫の現場で捕らえられた一人の女に対して、イエス様の「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)という言葉によってその場に残って実際に石を投げた人物は一人もいませんでした。彼らは神の御心から大きく離れ、離婚、再婚は普通に行われていたので当然ですが、そのような罪のただなかにいるので自分を罪のないとする人は一人もいなかったということです。

申命記24章では離婚して別の妻となった女と再婚してはいけない、と言っていますが、この箇所では「離婚するな」とは言っていませんし、かといって「離婚しても良い」とも言っていません。

 

もし妻(夫)と離婚して、誰かと再婚するなら罪を犯すことになるのです。

 

 

3.不道徳の侵入を許してしまう、妥協

サタンの支配下にある国、民との結婚を禁じている箇所があります。

 

― あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらのあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。

また、彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。

彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。 申命記7:1-4 -

 

異邦人の女、すなわち、神の戒めを何も知らない不道徳と偶像礼拝にどっぷり漬かっている女たちとの結婚により、神の民のただ中に不道徳、偶像礼拝、姦淫、そして当然彼女たちの慣習として「離婚」も普通だったと思われますが、そのような様々な罪が侵入していくのを神は非常に重く警告されたのです。

このことに対して、現代のわれわれ神の民、教会が「旧約の話だから、関係ない」で済むと本気で思って良いのでしょうか?
そうなってくると、それはまさにあのイエス様に質問したパリサイ人、ユダヤ人と何も変わらない状態だと思います。
「わたしたちの父は、アブラハムです。」と自分たちの選びを誇って、大きく神の御心から外れ、完全に盲目になっている状態には陥りたくありません。

ローマ、コリント、ガラテヤ、エペソ、コロサイの教会、黙示録の中では、ペルガモ、テアテラ、サルデス、そしてラオデキヤといった数々の教会が、入り込んだ偽りの教え、偽教師、罪との妥協、不品行、そのようなものの影響を強く受けて、妥協を許していることへの警告が、新約聖書の中にも非常に多くあります。というよりも、むしろ主眼点だとも言えると思います。真理から外れさせようとするサタンの巧妙な策略に対して何の警戒も無い人たちは、簡単に騙されていきます。エバを騙したあの蛇は、狡猾にも今に至るまで、神のご計画をなんとか破壊してしまおうと全力を尽くしているのです。

 

聖書にはっきりと書かれているにも関わらず、なお、この神からの警告を無視し続けることが、一体何を意味するでしょうか。

 

考えてみない、ということは本当に恐ろしいことだなって思います。何の疑問も抱かず、何が真理で、聖書に何と書かれているかは全く知らず、ただ牧師の言っていることを鵜呑みにしてしまう、、、。何も考えないのは多数派で、それが普通です。

マッカーサー先生があるメッセージで、こんなことを言っていたことがありました。

 

信仰とは、考えることだ。

 

 

4.神から渡される、離婚状

大量の離婚が行われた、そのような聖書箇所があるのをご存知でしょうか。

 

― エズラが神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈っているとき、イスラエルのうちから男や女や子どもの大集団が彼のところに集まって来て、民は激しく涙を流して泣いた。

そのとき、エラムの子孫のひとりエヒエルの子シャカヌヤが、エズラに答えて言った。「私たちは、私たちの神に対して不信の罪を犯し、この地の民である外国の女をめとりました。しかし、このことについては、イスラエルに、今なお望みがあります。

今、私たちは、私たちの神に契約を結び、主の勧告と、私たち神の命令を恐れる人々の勧告に従って、これらの妻たちと、その子どもたちをみな、追い出しましょう。律法に従ってこれを行いましょう。 …………… 」

祭司の子らのうちで、外国の女をめとった者がわかったが、それはエホツァダクの子ヨシュアの子たちと、その兄弟たちのうちから、マアセヤ、エリエゼル、ヤリブ、ゲダルヤ、 ……………  ……………  ……………    エズラ記10章 ―

 

永遠に残る恥ずべき離婚者たちのリストが、このエズラ10章です。非常に大量の離婚が一度に、一辺に神の民の中で行われた時でした。神は離婚を憎まれるけども、さらに悪い罪悪が神の民のただ中でなされていた、ということです。

イザヤ書の中では、ある女について書かれています。

 

― 主はこう仰せられる。
「あなたがたの母親の離婚状は、どこにあるのか。わたしが彼女を追い出したというのなら、あるいは、その債権者はだれなのか。わたしがあなたがたを売ったというのなら、見よ。あなたがたは、自分の咎のために売られ、あなたがたのそむきの罪のために、あなたがたの母親は追い出されたのだ。

なぜ、わたしが来たとき、だれもおらず、わたしが呼んだのに、だれも答えなかったのか。わたしの手が短くて贖うことができないのか。わたしには救い出す力がないと言うのか。見よ。わたしは、しかって海を干上がらせ、多くの川を荒野とする。その魚は水がなくて臭くなり、渇きのために死に絶える。わたしは天をやみでおおい、荒布をそのおおいとする。」  イザヤ書50:1-3 -

 

神に対して不貞を犯したため、追い出された女、それはイスラエルのことです。

 

- ヨシヤ王の時代に、主は私に仰せられた。「あなたは、背信の女イスラエルが行ったことを見たか。彼女はすべての高い山の上、すべての茂った木の下に行って、そこで淫行を行った。

わたしは、彼女がすべてこれらのことをしたあとで、わたしに帰って来るだろうと思ったのに、帰らなかった。また裏切る女、妹のユダもこれを見た。

背信の女イスラエルは、姦通したというその理由で、わたしが離婚状を渡してこれを追い出したのに、裏切る女、妹のユダは恐れもせず、自分も行って、淫行を行ったのをわたしは見た。

彼女は、自分の淫行を軽く見て、国を汚し、石や木と姦通した。

このようなことをしながら、裏切る女、妹のユダは、心を尽くしてわたしに帰らず、ただ偽っていたにすぎなかった。 -主の御告げー」 エレミヤ書3:6-10 -

 

離婚を憎まれる神が、離婚状を与えたのです。
イスラエルは契約を破り、そして追い出され、12部族中10部族は歴史から消えました。(アッシリヤ捕囚: BC722)
南王国ユダも後に、バビロンに連れて行かれます。(バビロン捕囚:BC597)

神は、裁きをなしてイスラエルを完全に滅ぼすこともできたのですが、そのようにはなさらず、神の憐れみによる一つの選択肢として「離婚」が用いられたのです。

 

- イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。  マタイの福音書1:18-19 -

正しい人は、正しく離婚ができるのです。不道徳はそこにはありません。ヨセフは、正しく離婚をしようとした人物でした。
神から渡される離婚状というのは、このように義を行うという点において非常にモラルの高い(言葉が不十分ですいません)離婚という一つの選択肢なのです。

- まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。 マタイの福音書19:9 -

- しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。  マタイの福音書5:32 -

神は、ことごとにこの離婚について言及されています。

 

 

5.神の憐れみにより、愚かさから贖い出される

ホセア書では、ホセアが遊女を妻とするように神から命じられます。
どうしてこのようなことを主は命じられたのでしょうか。

ホセアと結婚したゴメルは、イズレエル、ロ・ルハマ、ロ・アミという子どもを産みます。
それぞれの名前の意味は、全て、神に背いたイスラエルの裁きを預言した意味がありました。(ホセア1章)

 

 

- 主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」

そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。

私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」  ホセア書3:1-3 -

 

 

ホセアに愛され、子どもも生んだにも関わらず、なお、ゴメルは元の所に戻って行ったのです。
しかし、神はご自身の深い憐れみを示すため、ホセアにもう一度彼女を愛することを命じます。

神が、いかにイスラエルを愛し、民を愛し、人を愛しておられるのか、わかりませんか?

イスラエルの愚かさを譬えて、ご自身の憐れみを示そうとしたのです。

 

これは全てこのような愚かな行為を止めさせるための、深い大きな神の愛です。
赦しの時は、不貞を完全にストップさせる機会となります。

離婚を憎まれる神が、離婚をされて、最後には元に戻される、、、それは神様のやり方です。
完璧な赦しの愛がそこに存在しているのです。

 

ホセア、ヨセフ、そしてイスラエル全体がそれを表しています。

 

パートナーがもし不貞を犯したのなら、あなたは離婚はしたとしても、決して再婚はできません。
もしパートナーが死んだのなら、自由になります。なぜなら神により既に罰せられたからです。
しかしパートナーが生きている間、神の憐れみによって裁きを免れて生きているのなら、決して再婚してはいけません。

 

南アフリカのあるクリスチャン夫婦に関する話です。
夫がホモセクシャルでエイズになりました。それで離婚することになったのですが、

 

「神の憐れみによって、彼はまだ生きている」

 

と、いった理由により、奥さんであった女性は決して再婚はしないと決めているのです。
神の恵みにより一方には憐れみが与えられ、その代わりに一方には、その残りの人生において「独り身」という重荷が与えられることになったのです。

ここに非常に重要な真理に関するポイントがあります。

 

 

6.互いに仕えあい、互いが神を求める

イエス様は、弟子たちに次のように答えました。

 

- イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」 マタイの福音書19:8-9 -

それに対して弟子たちは非常に高慢で愚かな反論をします。

- 弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」 マタイの福音書19:10 -

 

この反論の裏側、心のあるものを表現するなら次のような感じになるでしょう。

「不貞を犯すような女は、離婚してしまった後、神の裁きを受けて死んでしまった方が良い。そんな女は地獄に行った方がよい。そして当然の権利として男性は再婚も出来てしかるべきだ。」

考え方としては、手っ取り早く、簡単です。悪い妻なら、良い妻に取り換えた方が良い、ということです。
確かに「良い夫A」と「良い妻B」が結婚する、それは確かに良いことです。

箴言にも次のようにあります。

 

― 思慮深い妻は主からのもの。 箴言19:14  ―

 

この事は最も良いことです。しかしだからと言って選びに選んで誰も見つからなく、弟子たちの言うように、間違った選択をしてしまこともあるだろうし、一人でいた方が良い?と結局なるのでしょうか。

 

― 神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」 創世記2:18 ―

 

結婚は人生における最大の神からの恵み、喜び、祝福です。
この結婚から、祝福された子ども、祝福された孫、祝福された家族が生まれていきます。

人が、ひとりでいるのは良くない、のです。
マッカーサー先生は次のように言っています。

「若い人達に言いたいのは、完璧な人を待つのではなく誰か探して結婚しなさい。二人がキリストを求めるならお互いに問題は何もありません。キリストに仕えるように、互いに仕え合うのです。」

マッカーサー先生にあなたの結婚はどうでしたか、と問われた際に次のように答えたそうです。

「私にとって結婚は勿論素晴らしいものでした。妻は、完璧な人物と結婚したわけではありませんが、その人物はキリストを追い求め続けています。それは私にとっても同様な事で、妻はキリストを追い求め続けています。」

さらに

「若い人達に言いたいのは、あなたがたは無駄に時間を過ごさないで結婚しなさい。あなたは本当にすばらしい時間を無駄にしています。完璧な人はいない。二人が主を求めるなら必ずうまくいきます。」

ユーモア交じりにこんな事も言っていました。

「私たちのナースリールームには、もっと子どもが必要です。ナースリールームをいっぱいにして下さい。このようにして天の御国は成長していくのです。」

 

あなたは素晴らしい時を無駄にしている。

 

非常に興味深い、機知に富んだ、神の知恵に満ちた、マッカーサー先生ならではユーモアでした。

 

 

- もし、人が自分の妻を去らせ、彼女が彼のもとを去って、ほかの男のものになれば、この人は再び先の妻のもとに戻れるだろうか。この国も大いに汚れていないだろうか。あなたは、多くの愛人と淫行を行って、しかも、わたしのところに帰ると言っている。 エレミヤ3:1 -