聖書からの逸脱 2 「アダムとエバ 2」

前回からの続き

ESV(English Standard Version): Now the serpant was more crafty than any other beast of the field that the Lord God had made. He said to the woman, “Did God actually say,’You shall not eat of any tree in the Garden’?”

NASB(New American Standard Bible): Now the serpant was more crafty than any beast of the field which the Lord God had made. And he said to the woman, “Indeed, has God said,’You shall not eat from any tree of the garden’?”

 

ESV、NASBといった信頼できる聖書の英訳バージョンでは上記のようになっています。それぞれとの比較からは特に新改訳との違いは、私が見る限りは見受けられません。別訳からの比較からは特に問題点は無いとします。

 

女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べて良いのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを知っているのです。」
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。 創世記3:2-6

 

蛇の発言に注目していくと、まず「あなたがたは決して死にません。」とあります。これは現在の多くの教会で教えられている内容と重なる部分があるように思えます。「クリスチャンへの裁きは無い」と教える教会では、クリスチャンであったならば、神は罰することはしない懲らしめはない裁きもないと教えています。そして、究極的に、どんな罪を犯しても、罪の中に留まり続けたとしても決して救いからもれることはなく、「信じます」と口で告白したのであれば、永遠のいのちを頂く、、、、「あなたがたは決して死にません。」と教えています。(告白、バプテスマ、信仰生活がなくても、礼拝への出席、教会の手伝い、会員の配偶者、といったようなことだけでも救われている、完全な救い、永遠のいのちを頂いている、と判断されるケースさえあるようです。)

そもそも「救われた者(クリスチャン)」とは一体どのような者なのか、という定義自体から聖書に書かれていることを見て行かないと、決して真実を知ることはできません。聖書を見ずに、聖書の「救い」「クリスチャン(救われた者)」について知りようが無いことは当たり前のことです。

 

少し戻って実際に神がどのように語られたか、次の箇所をご覧ください。

 

神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」 創世記2:15-17

 

あなたは必ず死ぬ。

 

これが神が語られたことです。ご自身のかたちとして創造された、初めの人に仰せられたこれ以上は無い厳しいことばです。神の定められた掟に違反すれば、誰であろうと「死ぬ」のです。はっきりと死ぬことを神は仰せられました。このことは非常にシンプルで疑いをはさむ余地などこれっぽちも存在できませんし、疑えるはずが無いと思ってしまいます。

しかし人間がいかに弱く、非常に愚かな存在であるかは、エバの取った行動によって明らかにされています。誘惑によって、完全に騙されてしまったのです。真理を曲げてしまい、神よりも自分を正当化するという選択をします。最初の「逸脱」です。

 

つづく