聖書からの逸脱 4 「自己受容 1」

1-2.自己受容という逸脱

聖書内で逸脱している事例をアダムとエバを通して見てきましたが、今度は実際に現在ある教会内でどのような逸脱のケースがあるのか、見てみましょう。

 

カウンセリングの教えの中に「自己受容」がありました。これは、自分を受け入れるということですが、自分の弱さ、足りなさ、性格、能力、できる、できない、そのような自分の全てを受け入れて、愛し、育むといった感じの内容です。自分で自分に言い聞かせるような作業です。「あなたは素晴らしい」と、鏡に向かって毎日10回言いなさいと指導されて、それを実際にやっていたこともあります。このような教えが教会内に持ち込まれることが、非常に大きな問題なのだとやっと理解してきました。「他者受容は、自己受容に比例する」とも言われていまして「自分を愛する(大事にする)ことができた分だけ、他人を愛する(大事にする)ことができる」と教えられます。

聖書ではどのように言っているのでしょうか。ある律法学者(ユダヤの宗教指導者)がイエスに質問する場面がありますが、「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」というものでした。それに対するイエスの答えは次のようなものです。

 

イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」 マルコ12:29-31

 

神を愛し、人を愛する、これだけです。自分を愛しなさい、なんていうことは一言も言っておられません。これが「プラスアルファ」の実態です。聖書で足りない部分を補うかのように、新しい現代的な情報を持ち込み、あたかもそれが素晴らしい、隠されていた真理のような立場をとっています。私達は、いつも聖書に立ち返らなければならない と、近藤牧師から事あるごとに教えられます。人の言うこと世が言っていることに惑わされることなく、聖書が言っている真実、とこしえからとこしえまでも変わらない神のみことばに立たなければ、エバ、そしてアダムのようにいとも簡単に騙されてしまいます。

 

イエス様は「自分を愛するように」と言われました。自分を愛するのは、人間の自己中心的な本能みたいなもので、当然、皆がやっていることで、その自分を愛するだけではなく隣人を愛しなさい、とイエス様は言われているのです。

 

つづく…….