Slaves and Friends of Jesus, Part 1

わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべとは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。 ヨハネ15:15

 

すべてが聖書に書かれていることが、わかりました。これほど素晴らしいことがあるのでしょうか。「しもべ」と新改訳聖書では訳されている箇所は英語ではSlave(奴隷)となっています。原語はdoulos(doo’-los)です。

Bible Hubで調べてみますと、

Short Definition: a male slave

となっていますので、実際のニュアンスとしては「奴隷」の方が近いような気がします。日本語なら「しもべ」よりは「奴隷」のほうがより近い気がします。

「あなたは私の主」と言うとき、「わたしはあなたの奴隷です」と同じだとマッカーサー先生は語られます。果たして、私たちキリスト者は本当に「あなたは私の主」と言いながら、奴隷としての歩みをしているでしょうか?

 

ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野から帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい』としもべに言うでしょうか。かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。 ルカ17:7-10

 

私たちの心の態度が問われているのは明らかです。どのような心の態度をもっているでしょうか。「祝福が得たい」「この世界で成功したい」「富を増し加えたい」そのような思いで、奴隷が主人の前に出てくるでしょうか。ただひたすらに、言われたことを黙って、行わないといけないのが、奴隷です。

 

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。 ルカ9:23-25

 

「自分を否定する」という表現をマッカーサー先生はしていました。自分を捨てる、とは、自分を否定するということです。自分(自己)を受容することでは決してありません。自分を「捨てる」自分を「否定する」のです。それが奴隷のあるべき姿です。

 

大辞林 第三版の解説
どれい【奴隷】
①人間としての権利・自由を認められず,他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し,労働を強制され,譲渡・売買の対象とされた。古代ギリシャ・ローマのもの,近代の北アメリカの黒人奴隷など。中国や日本古代の奴婢(ぬひ)もその一種とされる。
②下僕。しもべ。
③あるものに心を奪われて自主性を失い,行動を束縛されている人。 「金銭の-となる」